英文で読む日本国憲法

英文で読む日本国憲法 アメリカ文学研究者、翻訳家・柴田元幸さん
(朝日新聞 5月12日 オピニオン)

 

   この記事の新聞切り抜きを見る 日本国憲法には日本語の「正文」のほかに英文版がある。70年前の憲法公布の際に、日本政府が発表した。GHQ草案とは異なる。海外では日本の憲法というとこれが読まれてきた。昨年、翻訳家の柴田元幸さんが新たに「現代語訳」し、出版した。英文を素直に読んで見えてきたという憲法のメッセージとは。

 
 
 ――柴田さんは現代アメリカ文学の翻訳の第一人者であり、村上春樹さんとの親交の深さでも知られています。なぜ今、日本国憲法の、それも英文版からの現代語訳をしようと思ったのですか。
 
 「もし英文版の文章がものすごく官僚的で、国民の権利なんか考えていないようだったら、やらなかったでしょうね。でも一昨年、英語雑誌の仕事で読んでみたら、そうではなかった。簡単に言えば、ちょっといい感じ、だった。新訳の形で出すことで、憲法の主体は僕らにある、自分たちで国を動かすんだという精神が見えるだろうと。だからやる気になったというのはあります」
 
 「日本語の憲法の正文って『黒い』ですよね。画数が多い感じがする。新訳することで、あの黒々しい感じがもうちょっと抜けるかなとは思いましたね。英文版の方がわかりやすい。英語よりも日本語の方が、時代とともに変化している度合いが強いので」
 
 ――訳す際に心がけたことは。
 
 「文学作品の翻訳でも、読者にこう見てほしい、こう読んでほしい、ということは考えません。英文を素直に読めばこう読めますというものを提示しようと。ただ、僕は憲法の専門家ではないので、憲法学者の木村草太さんに相談しながら現代語訳を進めました」
 
     *
 
 ――柴田訳を読んで、まず、前文の出だしで驚きました。正文の冒頭は「日本国民は、」ですが、柴田さんの訳は「私たち日本の人びとは、」で始まります。どうしてこう訳したのですか。

 

 
 「『私たち』としたのは単純に、英文にそう書いてあるからです。“We, the  Japanese people,”とある。素直に訳せばWeは落とせないですね。だから訳す。問題はpeopleで、『国民』という訳はすぐには出てこない。しかも『国民』というと、その上に何か別の権力があるという響きがしてしまう、ような気がする。『人びと』のほうがそれは薄いかなと。でも『国民』が全然駄目というわけではありません」
 
 ――英文版はどういう英語ですか。翻訳家として英文を読み、どういう印象を受けましたか。
 
 「前文とか9条とか、明らかに普通の法律文書ではこういう言葉は使わないだろうなという、気合が入っている英語です。それは強く思いました」
 
 ――気合が入っている?
 
 「言葉の選び方が一つ。9条の正文で、国際平和を『誠実に希求し』とありますが、英文版は“Aspiring sincerely”です。『心から何々を願って』という表現で、法律的な言葉ではないですね」
 
 「戦争を『永久に放棄する』の英語は“forever renounce war”です。私も『永久に戦争を放棄する』と訳しましたが、foreverは、心情的に、絶対に、という気持ちを感じさせる言葉です」
 
 ――そうなんですか。
 
 「憲法とは、私たちはこういう人びとです、日本とはこういう国です、と海外に向けて見せる、アピールするものでもあると思います。ひどい戦争があった、二度と起こしてはならないという文脈のもとで書かれていることは間違いない。正文でも前文で『政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうに』とある、この『再び』は、英文ではnever againと書かれています」
 
 「この憲法全体に、『人びと』が隠れた主語として存在している。二度と戦争を起こさないと決意したのは、日本政府のエリートではなく、我々日本の人びとなんだという構図が、英文からもはっきりしています」
 
 「12条で、憲法が保障する自由と権利を『人びとの不断の努力によって守るんだ』ということを述べていますが、英文版は“shall be maintained by the constant endeavor of the people”です。人びとはこうしなければという精神を述べています。具体的に何かを定めるというよりは、人びとの気持ちを導くような言葉です」
 
 ――本の中で、前文と9条と97条は、英文の質がほかと明らかに違うと書いていますね。
 
 「初めから英文版を読んできて、97条に来たら、突然ボルテージがバンとあがる感じがしました。“fruits of the ageold struggle of man to be freeとあります。僕はここを『長年にわたり人間が自由を求めて努力してきた果実である』と訳しました。こういう言葉が出てくると、一気に目が覚めるというか、『起きろ』と言われた感じがした。続けてfor all time inviolate、これは正文では『永久』とありますが、僕は『未来永劫(えいごう)』としました。ここの英語は、気合が入っているというか、肩に力が入っている感じ。熱いです。ほかの条文とは違います」
 
 ――内閣の行政権を定めた65条で、正文は「行政権は、内閣に属する」ですが、柴田訳は「内閣には、法律に従い国政を執行する権限を与える」。「属する」と「与える」ではずいぶん違いますが。
 
 「新訳とは、じゃんけんの後出しなので、違いを際だたせなければという意識があったのかもしれません。英文は“shall be vested in the Cabinet”です。最初から『属している』とは書いていないだろうと考えました」
 
 ――内閣に「権限を与える」存在が別にいる、つまり主権者が与えるのだということですか。
 
 「そこまで計算して訳してはいませんが、そういう意図はありますね。僕はアメリカ文学ばかりやってきたので、政府に権限を与えるのは国民だというのが当然だと思っていて、あまり考えずにこういう訳が出てくるのでしょう」
 
 「人びとの上に誰かがいて、『あなたたちにこういう権利をやるからね』ではない。国会議員にせよ内閣にせよ、我々の代表者である、そういう意識が英文から感じられます」
 
     *
 
 ――翻訳していてあらためて気付いたことは。
 
 「99条の憲法順守義務が守られていないなとか、いろいろありますが……。アメリカの独立宣言がいい意味で生かされている、ことですね。だからこの憲法は押しつけだ、ととられたら僕の本意ではないけれど」
 
 「13条が幸福を追求する権利を定めています。生命、自由、幸福を追求する権利です。これはアメリカ独立宣言の中でも一番特徴的とされているところです。アメリカらしさが際立っているところがこの憲法に入っていることが、英文を見るとわかる。アメリカの理想が入り込んでいるのであれば、個人的にはいやではないです」
 
 ――日本語は読めないが、英語なら読めるという人が日本国憲法を知るのは、この英文版からです。どう読まれると思いますか。
 
 「もし僕が日本国憲法について何も知らないでこの英文を読み、一言で形容しろといわれたら、選ぶ言葉は『アイデアリスティック』(理想的)です。この言葉は二面性があって、『そんなの理想主義だ』と否定的に使われることもあるし、『理想的だ』と積極的、肯定的に使われることもある。個人的には後者を強調して言いたくなります。この憲法を読んでそう思う人は、海外でも多いでしょう」
 
 ――それにしても、ポール・オースターリチャード・パワーズなど米文学の翻訳に取り組んできた柴田さんが憲法を新訳したのは意外でした。これまでは政治や社会の問題について発言すること自体、少なかったのでは。状況が変わったということですか。
 
 「たしかにそうですね。かつて多様性が大事だとあれだけ言われていたのに、今は言われなくなったのに愕然(がくぜん)としていて。もっとまともな世の中だったら、やらなかったかもしれないですね」
 
 (聞き手 編集委員・刀祢館正明)

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