内村鑑三 創世記 聖書大意

〔聖書大意〕
大正151110日―昭和21210日『聖書之研究』316329 号署名内村鑑三
 
聖書大意
汝〔なんじ〕の言〔ことば〕は真理(まこと)なり(ヨハネ伝十七章十七節)。
山未〔いま〕だ生(なり)出(いで)ず、地と世界とを造り給はざりし時、永遠より永遠まで汝は神なり(詩九十篇二節)。
天地はすたるべし、されども我言はすたるべからず(ルカ伝廿一章三三節)。
 
○聖書は六十六巻より成る。其内三十九巻が旧約であつて二十七巻が新約である。662739とである。何〔いず〕れも3を以て除する事の出来る数である。殊に新約の273の三乗である。聖書に在りて3は聖数である。父、子、聖霊の三位がある。信、望、愛の三徳がある。聖なる、聖なる、聖なる哉〔かな〕と天使が三唱するを預言者は聞いた(
ザヤ書六章)。凡〔すべ〕てが其通りである。聖書の聖書たる所以〔ゆえん〕は其巻数に於〔おい〕ても表はれて居る。
 
○聖書は創世記を以て始まり、黙示録を以て終つて居る。創世記は天地創造の記録、黙示録は天地完成の記録である。「元始(はじめ)に神天地を創造(つく)り給へり」と云〔い〕ふに始まりて、「我れ新しき天と新しき地を見たり、先きの天と先きの地は既に過ぎたり、海も亦〔また〕在る事なし」と云ふに終つてゐる。即〔すなわ〕ち永遠に始つて永遠に終つてゐる。斯〔こ〕んな偉大なる書はほかにない。国民史に非ず、世界史に非ず、宇宙史である。宇宙が成りし由来、其目的,其終極、之を録(しる)した者が聖書である。然〔し〕かも泡の如くに現はれて泡の如〔ごと〕くに消えたと云ふのでない。無より出て無に帰つたと云ふのでない。或る確実なる目的を以て造られ、其目的が完成せられて終つたと云ふのである。愛の神より出でゝ神に帰つたと云ふのである。聖書は宇宙を取扱ふ書であつて、しかも恩恵的に取扱ふ書である。無限的に偉大なればとて曠空的(ひろびろ)に尨大〔ぼうだい〕でない。聖書はアブラハムヤコブの伝記を録(しる)すやうに、宇宙の始終を録(しる)してゐる。即ち神の恩恵の目的物として宇宙と人生とを取扱つてゐる。荘厳限(かぎ)りなき、慈愛極(きわま)りなき書である。
 
○如此〔かくのごと〕き書は二つはない。論語が偉らい、孟子が偉い,ダンテが偉らい、沙翁〔シエイクスピア〕が偉いと云ふて、到底聖書に及ばない。他の書が尽〔ことごと〕く消えて後に聖書が存(のこ)る。聖書は世界唯一の書である。ジヨン・ラボツクと云ふ英国の銀行家にして大天然学者が世界の大著述百種を択〔え〕らんで、其第一に聖書を置いた。聖書は古いから偉らいのではない、偉らいから古びないのである。人類は大著述をして死なしめない。故に他(ほか)の書は悉〔ことごと〕く死失(しにうせ)ても此書だけは死ない。そして他(ほか)にどんな大著述が出ても聖書と寿命を共にし得やうとは思はれない。今日までに聖書を攻撃した書は沢山に出た、然〔しか〕し其の何れもが朝露の如くに消え失せて聖書のみが残つた。
 
○詩人ハイネが聖書を読んで彼の感想を述べた有名の言がある、左の如し。
何んと云ふ書であるか。世界丈けそれ丈け広くかつ大きく、造化の根柢に根ざし、青空の密室にまで聳(そび)ゆ。
日出(ひので)と日入(ひのいり)と、約束と成就と、生と死と、人類の凡ての理想とは此書の中に在り。
詩あり、歌あり、哲学あり、歴史あり、伝記あり、預言あり、最大の思想、最高の理想、人のすべて思ふ所に過ぐる悲みと歓び、すべてが此書の中に在る。故に他の書は読まずとも此書丈けは読まねばならぬ。此書を怠りて人生最大のものを怠るのである。聖書知識に乏しき教育は不完全なる教育である。まことに聖書は「生命の書」である。此書を学ばざる人に生命なく、此書を斥〔しりぞ〕くる国に生気がない。世界の歴史、偉人の伝記が悉く此事を語る。
 
○聖書は人類の救済史である。神は人を救ふに方〔あた〕りて哲学者や道徳家の如くに倫理道徳を以てし給はない。救済の事実を以てし給ふ。先づ個人を救ひ、然る後に社会国家を救ひ、終(つい)に人類を救ひ給ふ。人類の救済はアブラハムの救ひを以て始まつた。次ぎに彼の家を救ひ、彼より出しユダヤ国を救ひ、終に彼の裔〔すえ〕として生れしイエスキリストを以つて人類救済の途〔みち〕を備へ給うた。そして其の長い歴史を伝へたものが聖書である。聖書は神が人類を救ひ給ふ事実と其順序を示した書である。倫理書に非ず、所謂〔いわゆる〕経典に非ず、歴史である、神の聖業(みわざ)の記録である。
それが故に殊に貴重なるのである。考へて成つた教ではない、行つて出来た救済(すくひ)の記録である。人が新たに聖書を作る事の出来ない理由は茲〔ここ〕にある。聖書は儒教や仏教の経典とは全く其性質を異にする。聖人が言うた言を伝へたものでない。神がその選び給ひし人と国との上に施し給ひし救済(すくひ)の記録である。
 
○人類の救済に関〔かか〕はる書であるが故に、人種民族の差別なく、読まれ且〔かつ〕消化せらるゝ書である。今日までに既に五百以上の国語に訳された。聖書を学んで人は初めて世界人に成る。西洋人の書であり又東洋人の書である。南洋人の書であり又北洋人の書である。我等は聖書を読んで、欧米人のみならず、世界万国民と理想を共にし希望
を一にする。此書を読んで人は深くせられ又広くせらるゝのである。(九月十九日)