いのちの大切さと、いとおしさ。(5)

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「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。」

とは、有名なヨハネ福音書の冒頭の言葉である。創世記によると、神様は、御言葉でもって全ての物を作られ、いのちを与えられら。それらは「非常に良かった」と神様が言われるように、神の作られた物には、不良品はない。ただし、人間が発する言葉は、人を殺しもし、生かしもする。人の欠点を突っつけばそこから赤い血が出て死んでしまうこともある一方、褒められれば、元気になって、思わぬ活躍をする場合がある。肉のいのちは、こころのいのちに敏感に反応する。「病は気から」とは古くからある言葉だが、現代医学はそれを証明している。ストレスの多いところに生きる人間は、癌や脳や心臓の血管障害を起こす確立が高いそうだ。そのこころを如何にコントロールするか、が生き方上手か下手かを決めるのでしょう。

自分が4年前思わぬ脳梗塞と言う病に罹って、脳の梗塞場所が数センチずれていたら、今頃この世には存在せず、天国に行ってイエス様と一緒に喜んでいることだったでしょうが、行き損なって、左半身麻痺が残って居ながら、この世にとどめ置かれた。まだ、この世でするべき事が残っているらしいが、この世の事業等ではなく、イエス様のこ聖書の御言葉、いのち、を伝える事である、と示された。私がいただいたいのちを次の人々に伝えて行く、バトンタッチをして行く、のがこれからの生きる目的の様である。
このブログもそのために用いられれば、感謝である。

(写真)近所の神代植物園の池にいる亀である。陽に甲羅を当てて気持ちよさそうにしている姿は、これからの自分の生き方として、見習いたい。頑張ることなく、ゆっくりと、イエス様に従って生きると言うことであろうか。