新タイトル「羊の家」

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詩編100:3 知れ。主こそ神。主が、私たちを造られた。私たちは主のもの、主の民、その牧場の羊である。

キリスト者は、主の民、その牧場の羊である。その羊の集まるところ、共に生きるところが「羊の家」である。羊ほど、賢くない動物は居ない、と言われている。その羊を哀れまれた主は、ご自身の牧場に私たち羊を置かれた。

詩編 23:1 主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。

23:2 主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。

23:3 主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。

23:4 たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。

23:5 私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油をそそいでくださいます。私の杯は、あふれています。

23:6 まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。

ダビデが、この詩篇23編で唱ったように、主に生かされ、守られる羊の住む家を主は造られる。

それが主の家、「羊の家」である。この羊の家ブログに多くの主の羊が集って共に主を賛美することが出来れば、と祈っています。