いのちの大切さといとおしさ(2)

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マタイ 16:24 それから、イエスは弟子たちに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。

16:25 いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者は、それを見いだすのです。

16:26 人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。そのいのちを買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいでしょう。

「いのち」には2種類の「いのち」があります。

肉体の「いのち」と、こころの「いのち」の2種類です。私たち人間は、肉体の命を大事にしますから、健康には一生懸命に気を使いますが、こころのいのちの健康にはとかく無頓着です。こころの健康さとはどうゆう事かと言いますと、悩みもなく、苦しむこともなく思い煩うこともなく、何時もこころ安らかに平安で、喜びと希望に満ちあふれている状態こそ健康なこころというのではないでしょうか。

健康なこころの持ち主は、何時も明るく、前向きに、楽天的に、光の中を謙遜に生きています。何時も他人のことを考えて、困っている人が有れば手を差し出し、悩んでいる人が有れば共に悩み、神をあがめ、イエス様が大好きで、自分のことよりもイエス様のことを第一とし、人はその人の中にイエス様の愛の存在を見ます。

肉体の健康が損なわれていても、こころのいのちが健康であれば、人間は喜びにあふれて生き生きと生きることが出来るのです。
神様は、人を苦しめるためにお作りなったのではありません。悩まそうとして創られたのではありません。生き生きと、大らかに、喜びにあふれて、幸せに、ご自分と一緒に生きるためにつくられました。幸せになれないのはその造り主なる創造主と共に生きていないからなのです。(つづく)

写真:公園を散歩していたら直径1メータぐらいの桜の古木の根本近くに新芽が吹き出ていた。まさしくいのちが吹き出す様に。