いのちの大切さ、いとおしさ(1)

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創世記 2:15 神である主は、人を取り、エデンの園に置き、そこを耕させ、またそこを守らせた。

2:16 神である主は、人に命じて仰せられた。「あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。

2:17 しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるその時、あなたは必ず死ぬ。

善悪の知識の木からその実を取って食べると、死ぬ、すなわち、いのちを無くす。それは善悪は神の領域であるからである。神が決められることだからである。その神が決められたことに違反することは、「罪」と言われて、死罪に処される。だからかならず「死ぬ」と言われた。
園の中央には、もう一本の木が植えられていた。それは「いのちの木」と言われる木であった。にもかかわらず、人間は駄目と言われた禁断の木の実を手に取った。神の命令に背く罪を犯し、いのちを無くした。再びいのちの木の実を手にするのに人間は何と多くの時間を過ごしたのか、多くのいのちを無にしても未だに本当のいのちを自分のものとした人間の数はすくない。
その人間の愚かな歩みを共に振り返るのも無駄ではないであろう、再びいのちを取り返すことが出来るのであれば。