聖書から

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ロマ人への手紙 5:3 そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、
5:4 忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。
5:5 この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。

アランは、「山頂までロープウエイで登った者は、自分の足で山頂まで登った登山家と同じ太陽を見ることは出来ない。」とは良くも言ったもの。何の苦労もなく手に入れたものには何らの感慨もなく、喜びもなく嬉しくもないであろう。患難とか、試練とか、苦しんで後手に入れることが出来たものは、与えて下さった主にも感謝が増し加わるであろうし、喜びも、苦労しないで手に入れたものより嬉しく大きいものであろう。そこに人間的に大きくなれる道がある。若いときの苦労は買ってでもせよ、ってよく親に言われた事を思い出す。たまたま日経ビジネスで京セラの稲盛和夫氏が、「豊かさの代償として失った謙虚さ」こそが現代の病根であると看過しているように、傲慢さ、高ぶり、が全ての問題の根本であるのは聖書でイエス様の説くところ。ホリエモンは正しく戦後教育の落とし子そのものであろう。倫理観のなさ、道徳心の欠如、個人ばかりでなく、企業に於いても顕著にその欠点が表れるようになってきたのが今年の特徴か。ミニバブルの兆候を表し始めている今日この頃の経済状況も、単なるマネーゲームに、過去のバブルを知らない若者が同じように踊っているだけではないのか。「上がったものは落ち、落ちたものはマタ上がる」とは、ニュートン万有引力の例を引くまでもないこと。ただ危ういのは、歯止めを何も持たない日本人の生き方であろう。何を目的に、何のために、生きるのか。会社のため、とかお国のため、とかいうのはもう何処にもないであろう。所詮自分のためという、事以外により何処を持たない貧しいものの集まりこそ日本という国であるのだが。企業を経営していて、社会のため、人のため と言う表向きの企業目的も、空しく社内にこだまするように聞こえる。
伝道者の書 12:13 結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。
神から作られた人間にとって神を恐れ、従って生きることである。