お玉じゃくし

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3月11日の写真で、我が庭園の池に生み付けられた蛙の卵の写真を載せたが、その卵が孵ってお玉じゃくしになった。鳥や多くの卵から孵る子供は、親に似ているのに、蛙の場合にはどうしてこうも親と違うのだろう。もう一度蛙になるために苦労しなければならないのもしんどい話だ。蝶や蛾なども同じだ、そういえば。神様が作られたこれらがそのように誕生の段階があるのはそれなりに何かの理由があるに違いない。神様か、生物学者にお聞きするしかないのだろうが。もっとも人間だって、赤ん坊、子供、青年、成人、老人、と年齢によって呼び名が変わってくるが、内容だって大きく変わっているのであるし、変わらなければならないはずである。最近は格好や年齢が大人であるべきものが、子供同様に幼稚なものが多く見られるのは、人間の成長の過程がどこか狂ってきているのだろうか。