母、よし子の納骨式

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エゼキエル書 37:5 神である主はこれらの骨にこう仰せられる。見よ。わ

たしがおまえたちの中に息を吹き入れるので、おまえたちは生き返る。

37:6 わたしがおまえたちに筋をつけ、肉を生じさせ、皮膚でおおい、おまえたちの中に息を与え、おま

えたちが生き返るとき、おまえたちはわたしが主であることを知ろう。」

Ⅰテサロニケ 4:14 私たちはイエスが死んで復活されたことを信じています。それならば、神はまたそのように、イエスにあって眠った人々をイエスといっしょに連れて来られるはずです。
4:15 私たちは主のみことばのとおりに言いますが、主が再び来られるときまで生き残っている私たちが、死んでいる人々に優先するようなことは決してありません。
4:16 主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、
4:17 次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。

私の母よし子は、今から33年前に癌で召された。私が36歳の時であった。女手一つで戦後の混乱期を気丈にも一人息子の私を育て、病に倒れた。イエス様のことを何も知らない私は、日本での一般的な習慣である仏式で葬儀をあげた。その仏式の葬儀を通して形だけの葬儀、宗教に空しさを覚え、後にイエス様に近づく下地が出来た。そして寺に付属していた墓地に埋葬したが、まもなく私と妻がキリスト者になったことを知った住職は、法事を行わないなら墓地を明け渡せと言い張った。普通なら命日ごとにお経を上げ、卒塔婆を建てるようだが、それが寺の収入になるのが、何の法事の行事もやらない我が家は寺にとって迷惑なことであったようだ。何時までも言われ続けるのも気分が悪いので、思い切って独自の墓を建てることにして、八王子の方に宗派を問わない墓地を求めて建立した。墓石には「全て労するもの、重荷を負う者、我に来たれ。我汝らを休ません。イエスキリスト」とマタイの福音書の11章28節からの文語聖書からの御言葉を、妻 みち子に毛筆で書いて貰って墓石一杯に掘った。この御言葉は、私が信仰に導かれるときに示された御言葉で,言ってみれば,我が家族が全て救われる契機になった言葉であり、代々引き継がれて欲しい言葉である。家族8人で賛美し、長男が祈り,私の短いメッセイジの後次男が祈って,賛美で短い納骨式を終えた。母はキリスト者ではなかったが、幾度となく苦しみの中で神様に祈っていたことを幼い私は見てきた。必ず天の御國に召されたと信じるし、約束のように再臨の時には肉を身につけて甦ると信じている。我ら夫婦にとっての重荷が一つ終えさせていただいて感謝でした。後はただその時を待つだけだ。