子どもたちよ。主の御名によって、あなたがたの罪が赦されたからです。

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

第1ヨハネの手紙2:12 子どもたちよ。私があなたがたに書き送るのは、主の御名によって、あなたがたの罪が赦されたからです。

3月以来の、2ヶ月ぶりのブログであるのだが、知らない間にブログの表示文字のサイズが大きくなっていて、書くのも読むのも楽になった。その間に、春の花は咲き誇り、新緑の世になって、子供たちは進級し学年が上がって、世の中動き続けている一方、デッドエンドに近づいている当方にとっては、この慌ただしい動きを止まることを願う。その大きな流れの中にも、神の決められた時というものが厳然と存在する。

伝道者の書 3:1 天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。
3:2 生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。植えるのに時があり、植えた物を引き抜くのに時がある。
3:3 殺すのに時があり、いやすのに時がある。くずすのに時があり、建てるのに時がある。

神が全ての時を支配なさって居られるなら、人が幾らジタバタしても始まらないだろう。であるから神を第一として生きるときに全ては最善に事が運ばれるのである。

箴言4:1 子どもらよ。父の訓戒に聞き従い、悟りを得るように心がけよ。私は良い教訓をあなたがたに授けるからだ。私のおしえを捨ててはならない。私が、私の父には、子であり、私の母にとっては、おとなしいひとり子であったとき、
父は私を教えて言った。「私のことばを心に留め、私の命令守って、生きよ。知恵を得よ。悟りを得よ。忘れてはならない。私の口の授けたことばからそれてはならない。

お玉じゃくしは、生後2月だが一向にカエルになる気配がないのはどうしたことだろう。