全ての営みには時がある。 中田引退の時に。

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伝道者の書

3:1 天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。

3:2 生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。植えるのに時があり、植えた物を引き抜くのに時がある。

3:3 殺すのに時があり、いやすのに時がある。くずすのに時があり、建てるのに時がある。

3:4 泣くのに時があり、ほほえむのに時がある。嘆くのに時があり、踊るのに時がある。

3:5 石を投げ捨てるのに時があり、石を集めるのに時がある。抱擁するのに時があり、抱擁をやめるのに時がある。

3:6 捜すのに時があり、失うのに時がある。保つのに時があり、投げ捨てるのに時がある。

3:7 引き裂くのに時があり、縫い合わせるのに時がある。黙っているのに時があり、話をするのに時がある。

3:8 愛するのに時があり、憎むのに時がある。戦うのに時があり、和睦するのに時がある。

3:9 働く者は労苦して何の益を得よう。

3:10 私は神が人の子らに与えて労苦させる仕事を見た。

3:11 神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠への思いを与えられた。

しかし、人は、神が行なわれるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。

「神のなさることは、すべて時にかなって美しい、が人間のやることは、唐突だったり、遅すぎたり、タ

イミングが難しい、何をやるにも。中田選手の引退は、以前からそうゆう意思表示があったようだが、誰

も本気に捕らえてなかったようだが、ブラジルに負けて、引退というのは、誰にでも納得できる時だった

のだろう。やりたいことを思いっきりやって、どこかで見切りを付けて、方向転換。それも一つの生き

方、一つのことに死ぬまでしがみついて、離れないで、経験を精錬して誰も到達し得なかった領域に達し

てこの世を去る、というのも他の生き方。神様がどの道を与えて下さるのか、人それぞれ。自分のこと

は、自分よりも神様の方がよくご存じなのだから。

写真:5月の始めにイングリッシュガーデンとして、植えて貰った西軽井沢の庭の花が、2ヶ月で百花繚

乱に近いほど各種咲き乱れて、時が来ないと花も咲かず、夢も実らない、と言うこと。