犠牲(サクリファイス)わが息子・脳死の11日」柳田邦男 著 (3)

イメージ 1

柳田邦男が、氏の次男洋二郎さんを自死にて亡くし、その心の癒しのために、手記を著した出版に際し、タイトルを洋二郎さんが傾倒していた映画詩人アンドレイ・タルコフスキーカンヌ映画祭の審査員特別大賞を取った作品「サクリファイス」からその日本語「犠牲」と付けて。
映画がDVD化されていないか調べたが、残念ながら存在しないようであったが、原作の日本語翻訳されたものをみつけたので、読んでみた。

110ページほどの小冊子であるが、その奥付けに
    希望と信仰とともに「我が子アンドレイに捧げる」
タルコフスキーの献辞がが載っているところを見ると、柳田氏と同様にタルコフスキーも、自分と同名の息子を何らかの理由で失っているようである。

柳田氏の言葉であるが、「Grief Works」すなわち「癒しの修復作業」としての手記、日記、手紙というものは当事者にとって、心の癒しになると言われていたが、洋二郎さんが生前、言葉を数多く記しておられたと手記にあるが、自分の日々の人生を書き表すことが、心の病にとっても癒す働きがあるのであろう。
犠牲を伴う行為こそその真実を明らかにすることが出来ると、作中「惜しいと思うものこそプレゼントに値するのだ」と郵便配達のオットーに言わせているが、自分で大切にしているもの、自分でも欲しいと思っているものこそ、人に貰って貰う価値があるのである。犠牲を払わずに人を愛することが出来ないと同じように、もらった者も、くれたものが大きな痛みを覚えるものをくれたと知って、感謝も大きくなるのである。
創造主なる神が、人間のために自分の一人子を犠牲にした聖書の記述と同様に、アブラハムはその子イサクを生け贄として捧げようとしたときに、主はアブラハムのその従順を良しとされた。

大きな犠牲を払うところに主からの祝福があるのだ、とアブラハムとイサクは体験したのであった。