神を待ち望め

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詩編 42:1鹿が谷川の流れを慕いあえぐように、神よ。私のたましいはあなたを慕いあえぎます。

42:2 私のたましいは、神を、生ける神を求めて渇いています。いつ、私は行って、神の御前に出ましょうか。

42:3 私の涙は、昼も夜も、私の食べ物でした。人が一日中「おまえの神はどこにいるのか。」と私に言う間。

42:4 私はあの事などを思い起こし、御前に私の心を注ぎ出しています。私があの群れといっしょに行き巡り、喜びと感謝の声をあげて、祭りを祝う群集とともに神の家へとゆっくり歩いて行ったことなどを。

42:5 わがたましいよ。なぜ、おまえは絶望しているのか。御前で思い乱れているのか。神を待ち望め。私はなおも神をほめたたえる。御顔の救いを。

人には自分ではどうにもならないことに出会うことがあります。「金で買えない物など無い」とうそぶく馬鹿がいますが、それが嘘であることを全ての人は分かっているでしょう。金が全てではないと。金があっても幸せに成れるとは限らないが、金が無くても不幸だとは限りません。
この詩篇42編は、この世に絶望した者の神への嘆願の祈りです。絶望した者のみが神との出会いを受けることが出来るのです。そこには、自分の罪の自覚と悔い改めが必要です。自分の貧しさを知って、涙する純粋な心こそ神の求める者です。神を求める者にこそ、恵み豊かに絶望に傷ついた魂が癒されるのです。