僕(しもべ)の独り言ー1

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人間、歳取ると自分の人生を振り返って、そこに何らかの生存の痕跡や意味を見つけようと懐古趣味に陥るのは洋の東西を問わず共通している現象のようである。人間何のために生き、そして死んでゆくのか、それを僕(しもべ)に教えてくれたのが聖書であり、イエスキリストであった。だから昔を振り返る必要はさらさら無いが、若い者が同じ間違いを犯して、せっかくの人生を無駄にしてほしくないので、どうしても言っておきたい思いが時々湧き出てくる。

それがこの僕(しもべ)の独り言である。僕(しもべ)の残す遺言状の下書きである。読むも良し、読まぬも良し。

それは人は幾ら理を尽くして話して聴かせても、分かりたくないことは決して分かろうとしない動物である、と養老孟司はその著書『バカの壁』で、看破している。「話せば分かる!」、と言うことは迷信であり、誤解であり、バカに幾ら言っても分からないのだから無駄な努力は止めとけ、と養老先生は言うが、バカにいくらそう言っても分からないので、何度でも「話せば分かる」と思い込んで話そうとするのだが、『話しても分からない』と信じる僕(しもべ)は、空しく一人語るのである。

   大切にしなければならぬのは、ただ生きると言うことではなくて、よく生きると言うことだ。     (プラトン
    人は自分の行いがことごとく純粋だと思う。しかし主は人のたましいの値うちをはかられる。
     (聖書、箴言 16-2)