神の国とその義
神の国とその義
6:34 だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。
神の支配される国、それが神の国、御国とも聖書で言われてますが、天国のことです。我々信仰者の国籍のあるところです。今はこの地上に寄留者としておかれているのです。その支配者であられる神の義、正当性を認めて、祝福と栄光を祈る事がその国の住人にとっては必要です。
かって律法を為すことによって義と認められるとありましたが不可能でした。
ですから、パウロは
ロマ書 3:20 なぜなら、律法を行なうことによっては、だれひとり神の前に義と認められないからです。律法によっては、かえって罪の意識が生じるのです。
3:23 すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、
3:24 ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。
3:25 神は、キリスト・イエスを、その血による、また信仰による、なだめの供え物として、公にお示しになりました。それは、ご自身の義を現わすためです。というのは、今までに犯されて来た罪を神の忍耐をもって見のがして来られたからです。
何もしなくとも、義と見なして下さる恵み。偽善者である必要は無くなったのです。正直に自分をサラケだして生きることの出来る喜び。
本当の解放、本当の自由!この喜びを一人でも伝えたい者です。