内村鑑三 マタイ伝 70講 復活の記事   馬太伝二十八章

70 マタイ伝
 
復活の記事   馬太伝二十八章(四月四日柏木に於て)
今や復活祭を迎えて欧米基督教諸国に於ては盛に之を祝へども、而かもこれ唯〔ただ〕古来の慣習(かんしゆう)たるに止まりて、聖書の示す基督の復活を信ずる者の如きは極めて稀(まれ)であつて、斯〔かく〕の如きは近代の哲学文学を学ばないものゝ間に僅かに信ぜらるゝ憐(あわれ)む可き迷信とされて居る有様である。乍然〔しかしながら〕、聖書に由れば復活なくして基督教はないのである。余は今日茲〔ここ〕に復活の有無と其理論を説かんとするのではない、復活はあるものとして馬太〔マタイ〕伝が伝ふる復活の記事に就いて述べて見たく思ふのである。
記事は第二十七章六十二節より始つてゐる。世間普通に考へらるゝ所に由れば基督の復活には、天よりは天使の降るあり、地には大なる地震ありて、墓(はか)展(ひら)け、而して基督が復活し給ふたのであるとの事である。然るに馬太伝の記す所に於ては天使と地震とは復活には何等の関係がなく、これは単に二人の婦人に関係あるのみである。
甚だ意外の如くなれども実は左もある可き事である。復活とは単なる生き返りではない、復活は肉体の聖化(せいくわ)である、故に復活体は時と場所との制限を受けるものではない、故に墓よりの出入の如きは元より自由であつて、地震にて墓を展(ひら)け天使の石を転(まろ)ばすを待つまでもない、キリストの復活は神御自身の大なる能力(ちから)を以てなされたのである、故に馬太伝の記者は復活の状態に就いては少しも記す所なく唯其前と後との状態に就いて記したに止まる。復活前に於ては祭司の長(をさ)とパリサイの人等がイエスの弟子が来りてぬすみ去らん事を恐れ石にて墓を封印し守兵をして之を固守(かため)しめた事を記し、其後に於ては大なる地震のありし事、主の使者(つかい)の天より降りて墓の門より石を転(まろ)ばせし事を委細(いさい)に記し、而して其間に於て最も驚く可き大秘事のあつた事を一句も記さないのである。誠にせいしゆくのうちに行はれたる神聖重大なる大事実であつて語らず筆せずして信じたいのである。凡〔およ〕そ極めて神秘なるものは語を恐れ筆にするを恐れるのである。説明は却〔かえつ〕つて神秘を害(そこな)ふが故である。牽牛花(あさがお)が開く瞬間に於ける、美術家が天地の絶景に恍惚たる時の状、或は愛する者が息を引取る刹那の感等はこれである。神聖の極たる基督の復活の如きは説明す可きものではない、是に対して吾等が生理学者となりて考ふる時すでに神聖は蹂躙(じゅうりん)され復活は失せるのである。此消息に熟通(じゅくつう)して常識的信仰に富みたる福音記者は復活の説明に一字一句を用ゐず唯其の前後、の状況を記(しる)して而かも大事実を伝へたのである。此記されざる大記事を読まない信者の多いのは誠に不思議である。少しも記されない此記事に勝りて大なる記事が又と世にあらふか、実に復活の大事実大神聖事を記(しる)すの方法は此外にはないのである。如何なる筆を以てしても書いたでは破壊(はかい)さるゝ恐がある、筆にし或は口にするには余りに大事実であり余りに神聖事である、驚く可き書かざる大記事を此所〔ここ〕に見るのである。
次に天使の記事を復活と全くはなして考ふる時に如何に人の思考以外の事を教ゆるかが知られて大なる慰藉(いしゃ)を得るのである。何のために天使降りて石を転(まろ)ばせしか、これ復活のためではなく、篤心なる婦二人の信仰を助けんために外ならぬ。婦人の地位の卑(いやし)められし当時にありて僅か婦(おんな)二人のために態々(わざ〳〵)天使降りて是を助くる如き事は此世の考にてはあり得可からざる事であるが、神は人をみ給はずして信仰を視給ふのであつて王公将相の地位は何でもなく、卑しき婦の胸に蔵(かく)せる信仰は大切であつて天使の降りて助くるに価(あたい)するのである。当時の人は多く婦人を弟子とするを恥ぢしもイエスは婦人の弟子を持ち給ふたのである。婦は決して劣等のものでない、其優(やさ)しき心情はよき信仰を得るに適し此の両マリアの如き最もよくイエスを解したのである。天使は最初聖母マリアに降りて懐孕(かいたい)を告げ、次にはベツレヘム郊外の牧者に現(あら)れて主の降誕を知らせ、今又此二人の婦の信仰を助けんがために降つたのである。今試みに繊(かよわ)き婦が此大事実に接せんために一人の腕力(ちから)強き男子が来りて石を転ばしてやつたと考へたならば、其事は天使降臨の説明とはならなくとも其状景が少しく解るであらふ。
実に復活は大なる事実なれども此世の事を以て説き得可き事ではない、説けば此記事を破壊して終了(しまう)のである。
去れば単なる事実として之を脳裏に蔵(かく)し、今考ふる事の出来ないものは後日何れの時か、その解(わか)る時が来るであらう故に、其時を待つの外はないのである、余は此事に就て是れ以上を説くを好まない。
 
 
 
殉教者ステパノ使徒行伝第六章(四月十一日柏木に於て)
 
使徒行伝は四福音書に続き聖霊の指導に由る福音伝播(でんぱん)の実際を記したものである。而してステパノは最初の殉(じゆん)教者(きょうしゃ)であつて彼の勇敢なる行動に由りて今日の基督教あるを得、引いては吾等の運命までが直接に其影響を受けて居るのである、誠にステパノの生涯は吾等に縁の遠いものではない。而かも彼は当時の使徒として選まれたものではなく、使徒等をして伝道に力を専(もっぱら)らにせしむるために嫠(やもめ)に施済(ほどこし)をなす役目に選まれたる七人の執事の中の一人たるに止まり、表面に立ちて伝道の責任を負ふたものではなかつた。此〔かく〕の如き人に由りて基督教は一大変化を生じ猶太的範囲より出で世界的宗教となつたのである。神の事は常に人の意表の外であつて些々(さゝ)たる事が大事の種となるのである。彼れ若し当時自ら卑下して渺(びやう)たる一身何の関する所かあらんとて利害を打算(ださん)し危きを逃れて安きに就き敢て争ふ事をせなんだならば如何(どう)であらふ、保羅〔パウロ〕の起る事もなかるべく、従つて今日の基督教はなかつたであらふ、当時に於ては何でもない俗務の為に選まれたる一執事ステパノの身には実に世界永遠の運命懸(かか)つて居つたのである。戦場に於て一兵卒の行動が往々にして全軍の勝敗に関係する如く、ステパノの行動は全世界の歴史を一変せしめ、人類は之に由りて永遠の幸福を得たのである。一平信徒ではあれども是に神の特別の力の加はるや伝道の先鋒に立ち基督を代表して大なる死を遂げたのである。普通世間の事であるならば此大任務は勿論使徒の上に降るべきであらふが神の事に於ては地位職分の如きは問はれないので、これが聖書を一貫したる精神である。
茲に注意す可きはステパノと争つた諸会堂のものは当時広く世界的空気に接触したるギリシヤ方言のユダヤ人であつた事である(第一節を見よ)。ステパノは思つたであらふ、真理に立つ吾主張、之を狭隘(けうあい)なるヘブル方言(ことば)の国人に伝ふとも多分功なかる可く、是を広く世界的智識に触れたるものに訴へたならば容れらるゝであらふと、而かも事は意外にも全く反対であつて便(たより)とせし人々に謗讟罪(ひぼうざい)を以て訴へられたのである。
 
斯〔かく〕の如きは今日に於ても常に見る現象であつて、世界的思想は必ずしも広く世界の空気に接触せしものが得るのではなくて、仮令(たとへ)国外一歩を出でざるも深く世界の精神に接触したるものが得るのである。広かる可くして狭かつたギリシヤ方言のユダヤ人は流石(さすが)にステパノの議論の鋒先に堪えずして遂に卑怯〔ひきよう〕にも不敬罪を以て彼を訴へ当時の最高法衙たる集議所即ちサンへードリムに引致したのである。聖所と律法を謗讟(ぼうとく)せしとの罪これ実にイエスと同罪であつて彼れステパノの名誉にして之に優(まさ)るものはない。集議所に立ちたる彼の面は天使の如くあつた
とは記者の簡潔なる形容であるが誠にさもありぬ可く、之より彼は有名なる大演説をなしたのである。死を目前に控へたる集議所に於ての悠揚(ゆうよう)迫(せま)らざる彼の大演説は千九百年後の今日の吾等をして奮起(ふんき)せしむるの力あるものである。此所よりして使徒行伝の記事は猶太〔ユダヤ〕的なるより一変して世界的となつて居る。如何にして此困難(むずかし)き世界に基督教が伝播(ひろめ)られしか、神は人の道を選まずして神御自身の道を取り給ふたのである。今や教役者と称する者が基督教を拡(ひろ)めんとして人間の総ての手段方法を尽しつゝあるが使徒行伝の教ゆる所は其正反対であつて毫(すこし)も間の智慧(ちえ)と手段とを含まない。ステパノを選みし如きも人間的に考ふる時は最上策ではなかつたであらふが、誠に神の愚は人の智に勝るにて、神御自身が働き給ふ時羅馬〔ローマ〕政府の下にも猶ほステパノを出し保羅を起して全世界に福音を伝播(でんぱ)せしめ給ふた。当時の羅馬に福音を伝ふる事の困難なりし状態を思へば今日吾日本国に之を伝ふる如きは猶ほ容易の事である。編輯(へんしゅう)者曰ふ、此篇に次いで第百七拾七号所載『ステパノの演説』を読むべし。
イメージ 1