子を思う親の愛

書(ふみ)をわが愛する子テモテに贈る。願はくは、父なる神および、われらの主キリスト・イエスより賜ふ、めぐみと、あはれみと、平安と、なんぢにあらんことを。われ夜も昼も、祈りのうちに絶えずなんぢを思ひて、わが先祖にならひ、清き良心をもて事(つか)ふる神に感謝す。われなんぢの涙を憶(おぼ)え、わが歓喜(よろこび)の満ちんために、なんぢを見んことを欲す。これなんぢにある虚偽(いつはり)なき信仰をおもひ出だすによりてなり。その信仰の、さきになんぢの祖母ロイス、および母ユニケに宿りしごとく、なんぢにもしかるを確信す。(Ⅱテモテ1-2~5)

なんと素晴らしく、胸を打つ文であろう。失ってしまった日本語の美しさをここに見る。日本の文化の奥ゆかしさを思う。いや、日本人の持つ情とおなじような親子の愛、人情をここに見る。
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現代日本語聖書の言葉遣いの貧しさ、品位の無いのを恥ずかしく思う。