ひめゆりの塔

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沖縄の「ひめゆりの塔ひめゆり平和祈念資料館)」に家内と訪れた。戦争という悲惨な思い出の地を訪れるのは、これで2度目であるが、10年前にはなかった、生き残りの方々の体験談がビデオで放映されていた。それぞれの悲惨な経験を、後世に残すという意味で作られたものであるようだ。あれから62年、生存者も高齢化でこれからどれほど、体験を伝えることが出来るか分からない状況での証はまさしく必要な方法なのであろう。
ただ、これらの証言を文字ではなく肉声と表情で多くの人間に見るようにしたらもっと多くの人間が戦争についての思いが変わって来るであろう。平和であることに対して感謝が増し加わるであろう。

いくつもの証言の中で特に心に残ったのは、多くの兵隊たち、特に傷ついた兵隊たちの最後の様子、顔が傷ついた兵士の傷一面にウジ虫が湧き、口から鼻、耳へとうごめくウジ虫に苦しめられる兵士の耳から蛆虫を掻き出す作業をしなければならない乙女たちの苦しみは、その兵士に勝るとも劣らないものであろう。

地中深く続く洞穴に横たえられた数多くの兵士、水も食料も、薬も何一つ無い状況下で苦しみと痛みのうめき声だけが空しく響く洞窟で聞こえるのは、蛆虫のさくさくという人肉を食らう音だけであったと
一人は証言していた。

同様な戦争の悲惨さを後世に残したアウシュビッツの状況は「夜と霧」というフランクルの体験記録が有り、多くの人間に人間の持つ悪の極限を明らかにしたが、このひめゆりの塔に眠る200有余の十代の乙女たちと、数千の兵士たちの無念さは、本当の神の存在すら知らずに、それ故助けを求めることも知らずに死んでいった無念さは、アウシュビッツで死んで行った人々に勝るとも劣らない物であろう。

人間持つ罪、自己中心の罪、残虐性、何処までも落ち行くことが出来る人間の悪の奥深さは、極悪非道、と言う言葉でも表すことは出来ないであろう。だから神、創造主は、その人間を救い出すためにイエス・キリスト救い主をこの世にお送り下さった訳であるのだが、戦争は何があっても避けるべき、と言う思いを新たに強くして、暗澹とした気持ちで帰京した。すでに満開に近い沖縄のひがん桜のお花見も、人間の持つ大きな罪への思いを打ち消すことが出来なかった。

写真1、快晴に恵まれたひめゆりの塔の記念館であるが、外の明るさに比して中の暗さの深いことであった。ただ内部の写真撮影が禁止されていたので、ここに出せないのが残念。

写真2 北部の八重岳のひがん桜はすでに満開であった。強風と低温にもかかわらず。意外と沖縄って寒い時もあるんですよ、って言われたが、暖かさを期待していただけにチョットガッカリ。

写真3.喜屋武岬から荒崎海岸をのぞむ。この喜屋武岬は沖縄本島の最南端、この右の太平洋から米軍は
数多くの戦艦で、中部から上陸した米軍に追われて南下してきた、日本軍と住民を攻撃し、この荒崎海岸から多くの住民が身を投じて無くなった。

是非一度、ひめゆりの塔のホームページ http://www.himeyuri.or.jp/ を訪問下さい。

みんなで平和を祈りましょう。