犠牲(サクリファイス)わが息子・脳死の11日」柳田邦男 著 (2)

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洋二郎さんは、1967年、昭和42年 調布市にて誕生。短編小説などの小品を著していた。「迷宮の孤独」や「僕自身のための広告」などと言うタイトルのものを残されたが、それらから父邦男氏が読み取ったものも。氏の挫折感と敗北感と共に、この「犠牲」という作品に記されている。

「僕自身のための広告」という作品に、天才映画詩人として有名なタルコフスキーの作品「犠牲サクリファイス」を見て、主人公アレクサンデルが無信仰であったが核戦争の始まりを知って、はじめて神に縋ろうとする。

持てる物全てをささげるから救ってください、と祈って魔女マリアに秘蹟を求め、奇跡が成されて核戦争は起こらずに平和に戻ったが、アレクサンセルは、神へのささげものをしなければならない。そこで彼は、愛する家に火を付け精神病院に収容される。

妻や娘は彼を見捨て、彼の医者ヴィクトルに引かれて行くが、彼はそんな家族のためにも祈った。

辻邦生は、この犠牲を、不毛なものを希望に変え続ける意志、すなわち、自らをささげ、犠牲とすることの出来ない人間には、もはや何も頼るものがないのである。

いわゆる自己犠牲があってはじめて、頼ることが出来るので、自己犠牲をなす事を厭うものは、神に頼るな、と言えるのであろう。

自己犠牲こそが、不毛な人生を意味あるものとする、と言うのであれば、それはイエスキリストが説く「愛」そのものではないのか。

神に頼るものは、犠牲を払う必要がある、生け贄をささげる必要があると、洋二郎さんは読み取り、自分の骨髄の提供を思いつき、移植の申し出をする。脳死の期間を経て、腎臓の提供という結果で終わったが
自己犠牲という彼の願いは聞かれた。

彼はバッハのマタイ受難曲を幾度と鳴く聞いておられた。「哀れみ給え、わが神よ」と言うアリアを愛して聞かれたそうである。

洋二郎さんの心の病の状況は、不安神経症、対人恐怖症、とも言われ、中学の頃からその心の病に苦しまれていたようですが、彼の心にいだいていた究極の恐怖心とは、ガブリエル・ガルシア=マルケスノーベル賞作家、コロンビア)の作品「百年の孤独」で扱われている大家族の消滅の恐怖と同じもので、彼の愛読書にもなっていた。

自分が自分でなくなって行く不安、社会や友人や家族に取り残される焦燥感、やがて忘れられて行く存在となるかも知れない絶望、すなわち、自分の実存に関わることで、その絶対的な孤独感は、これらに耐えて行く為だけの真摯な人生への取り組みとなって、何時か疲労困憊し、自死の道を選ぶことになるのだろうか。

柳田邦男氏は、自分の息子の苦しみに何の助けも出来なかったことに対する失望感、絶望感、目の前から消えてしまった愛の対象を失った喪失感、を癒すために意識するしないは別にして、

グリーフワーク、すなわち、 悲嘆の癒しの仕事として,この手記を著した。その「犠牲」という手記に多くの共感を持つ人々から寄せられた300通以上の手紙を基にして著された続編「「犠牲」への手紙」の中で氏は、

愛する人を亡くした人、耐え難いような人生を歩みつつも、手紙を書くといういわば自分の物語をつむぐ作業をすることによって、「生きていく自分」を懸命に確認していると言うこと、を痛感されたそうだ。

そこで私は、この彼の文章から自分が何故ブログを建て、この様なことを記しているのかを、人の言葉で表すことが出来るのを知った。そう「自分の物語をつむいでいるのだ。」と。

エスキリストを信じ生きる自分の人生の物語を、日々紡いでいるのだ。その一本一本の縦糸横糸が、日々のブログへの書き込みであり、コメントを通して他者との関わりであるのだろう。そこでブログの持つ意味合いが明確になるのだろう。

(写真)住まいの近くの植木畑の木である。枝を払われ、布きれで養生されて半年、その間に春となり初夏を迎えて出たい枝が渾身の力を振りしぼって、巻かれた布の隙間から枝を出してきた。いくらがんじがらめに縛っても、必ず生きている力は、隙間から天に向かって手を差し伸べるのだ、ちょうど我々のように。