http://www.asahicom.jp/articles/images/AS20160505000110_commL.jpg普遍的な原理より『我が国固有の伝統』に配慮しようとする今の改憲。それで信頼が得られるか」=仙波理撮影
 69回目の憲法記念日を迎えた今年。政治家は、いつに増して大きな声で改憲を語る。戦争に敗れた1947年の日本人が、新憲法に託した未来は2016年の今、ここにないのか。憲法アメリカ、そして改憲神学者キリスト者は今、何を語るのか。森本あんり国際基督教大学学務副学長に聞いた。
 ――先生の専門は神学ですね。キリスト者神学者として憲法を巡る現状をどう考えていますか。
 「憲法が制定された当時、1947年の日本では、キリスト教徒も仏教徒無神論者も、みんなが祈っていました。何百万もの人が死んだのです。屍(しかばね)を前にして、できたのは、祈ることくらいだったろうと思います。広島、長崎に行って慰霊碑の前に立てば、信仰や宗派にかかわらず、だれもが頭(こうべ)を垂れる。それと同じ気持ちが、この憲法に込められていると思います」
 「元最高裁判事那須弘平氏は、日本国憲法を『祈りの書』と呼びました。『懺悔(ざんげ)と謝罪の書』とも言っています。憲法を読むと、『決意し』『念願し』『信ずる』『誓う』と、ふつうの法律文書にはない言葉が出てきます。『永久』『恒久』という言葉もありますが、それは明らかにこの世の政府や法律が保障できる範囲を越えています。言葉づかいからして『祈りの書』なのです」
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 ――その憲法も来年の5月3日で施行70年になります。戦争の記憶も薄れる一方です。
 「日本で、憲法は非常に大事にされてきました。いろいろと文句をつけられ、『改定したい』という人もいる。でも、改憲がどんなに大きなステップかをみんな分かっている。つまり、約70年の戦後を憲法とともに過ごしてきて、身についているのです。私はそれが一番貴重だと思います」
 ――しかし、改憲派は、憲法が敗戦後、占領下で制定されたことを問題視しています。
 「憲法が尊重されるには、制定者の権威が必要です。憲法制定当時の権威とは何か。率直に言うと、米国中心の連合国軍総司令部(GHQ)です。でも、日本人はその権威を受け入れました。それは、米国が自国の利益だけでなく、より普遍主義的な理念、つまり全世界の正義、自由、民主主義を掲げていたからです。だから権威があったのです」
 「憲法と米国の理想と言えば、『人民の人民による人民のための政治』というリンカーン米大統領の『ゲティズバーグ演説』が思い浮かびます。あの演説、どこでなされたかご存じですか」
 ――どこでしょう。
 「南北戦争戦没者が眠る墓地の前です。米国の戦争で、60万人という最大の死者を出したのが南北戦争です。その戦場だったゲティズバーグを国有墓地にする献納式で、リンカーン戦没者に新しい民主主義を誓ったのです。実は、この演説の要素は日本の憲法にも入っています。前文の『その権威は国民に由来し』は『人民の』、『その権力は国民の代表者がこれを行使し』は『人民による』、『その福利は国民がこれを享受する』は『人民のための』です。戦争の惨禍を経験し、戦没者に対して新しい民主主義を誓う、という点は日本国憲法とゲティズバーグ演説に共通しています」
 ――米国でも議会などで「unconstitutional」(違憲)という言葉が飛び交う、と聞きます。「違憲」が重い意味を持つ国なのですね。
 「米国の憲法は国内でも尊重されていますが、日本を含む多くの国に影響を与えました。でも大切なのは、米国で憲法ができる以前です。独立までの150年間、いわゆる植民地時代の人々は、自分たちで基本法をつくり、それに合わせて自治社会を建設していました。だから最初の13州は、独立と同時にそれぞれが州の憲法を制定したのです。英語で憲法を意味する『constitution』には『構成』とか『組み立て』といった意味もある。それで自分たちの社会を組み立てていくという経験をずっと積み重ねてきた。そういう『身体感覚』があったから憲法が尊重されているのです」
 「ただ、そんな国はあまり多くありません。憲法イラクアフガニスタンにもあります。でも、多くの国では洟(はな)もひっかけられません。フランス憲法は、最初の100年間に十数回も書き換えられました。憲法ができる直前まで、『朕(ちん)は法なり』で王様が法律だった国ですから、革命と同時に憲法をつくっても身体感覚が伴わなかったんだと思います」
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 ――日本で、憲法を変えようという声が、いまこの時代に大きくなったのはなぜでしょう。
 「終戦直後に人々の目前にあった屍のリアリティーがなくなったからじゃないでしょうか。改憲を唱える安倍晋三首相は戦後生まれです。何百万人という犠牲を前にして世界に誓ったリアリティーを感じられなくなった世代が、政治の中枢にいるという状況です」
 「実は、日本に限らず、保守のど真ん中を担っていく王道が、憎たらしいけれどデンとしっかり構えている、という時代ではなくなった、と感じています。米国も今の大統領選をご覧の通りです。民主党では型破りな社会主義者サンダース氏(上院議員)が人気を集め、共和党もトランプ氏のようなとんでもない人が指名獲得を確実にしている。党の主流を担う人がいない。私の言葉で言うと『正統』(オーソドクシー)が陰っているんです」
 「本来なら、まず正統があって、その正統に対するアンチテーゼとして『異端』があるものです。なのに、正統がみな腰砕けだから、あちこち異端だらけになってしまった。群雄割拠で『異端』とすら言えないほどでしょう。そういう状態が、日本でも米国でも起こっています」
 ――何が「正統」か、だれが決めるんですか。
 「だれも決めません。『正統』は、本来的にはみんなが当然の前提としているもので、ふだんは意識されません。だけどあるとき、自分たちが信じてきたものは何か、依拠してきたものは何かと考える時代が来る。で、いったんそうなると、『正統』はかつてのような信頼感を失ってしまう。『それでもやっぱり俺は正統なんだ』って言い募る者が出てきて、当然の前提であるはずの『正統』を、議論で証明せざるを得なくなる。それがいまの憲法を巡る議論の根本にあると思います」
 「憲法を巡っては、これまでも9条の問題などいろいろありましたが、憲法が大切だという認識そのものはだれも疑ってこなかった。いまも権威はありますが、改憲の動きが強まり、『これがやっぱり正統なんだ』と、一生懸命に言わなきゃいけなくなっています」
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 ――東アジア情勢が不安定で、テロの脅威もある。世界経済の先行きも読めない。もはや70年前の理想主義では立ちゆかない、という意見もあります。
 「米国の独立宣言にも『ALL MEN ARE CREATED EQUAL』(すべての人は平等につくられた)とありますが、独立宣言を起草したトマス・ジェファーソンは奴隷所有者で、奴隷の女性に子どもまで産ませています。言っていることとやっていることが全然違うんです。でも、彼が残した『平等』という言葉があったから、100年後の奴隷制度廃止が実現し、女性の権利も認められてきた。そして公民権運動も進んだのです」
 ――理想は分かりますが、現実に対応するのが政治です。
 「理想は、絵に描いた餅じゃありません。すぐには実現しませんし、現実と違うって非難もされる。だけど、やがてそれが歴史を動かす力にもなる。だから、いま現実がこうだから、どこかへすっ飛ばしてしまえばいいじゃないか、というふうには私には思えない。理想を掲げておく理由は、あると思います」
 ――でも改憲に意欲的な安倍政権は一定の支持をされています。
 「選挙の際の公約はパッケージとして示されるので、個別にどの政策が支持されているかは分かりません。近現代の政治は手続き的な正統性にすごく偏っています。選挙で数さえ集まれば、何でもやれる。デュープロセス(法による適正手続き)を踏んで票数だけ集めれば、手続き的には正統だ、という主張です」
 ――それが民主主義でしょう。
 「いや、私はそうは思わない。手続き的に正統でも、事実的に正統とは言えないことはあります。人権の問題はその典型で、多数決では決められません」
 「カトリック教会には『カノン法』という近代法の淵源(えんげん)になった長い法伝統があって、知恵のある言葉がいっぱい詰まっています。そのひとつが『イリキタ セッド ヴァリダ』。ラテン語で『合法的ではないけれども妥当』といった意味です。いまの憲法には内容的な正統性がある。手続き的な正統性でそれをひっくり返しても、権威は備わりません。手続き上はたとえ合法だとしても、です」
 (聞き手・望月洋嗣)
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 もりもとあんり 1956年生まれ。専門は組織神学。米プリンストン神学大学で客員教授を務めた。著書に「反知性主義 アメリカが生んだ『熱病』の正体」。