キリストを解せんがため」

 
「キリストを解せんがため 内村鑑三」          
我が生涯の目的は、我が完全にキリストを解せんがためであり、我に歓喜有り、悲哀あり、成功あり、失敗あり、希望あり、心身を裂かれるに等しき苦痛あるは、これ皆われが完全に我が主イエス・キリストを解せんがためなり。
 
我もし友の捨てる所となり、彼らに罵られ、侮られ、面前において耐え難きの恥辱を蒙られる事あるとも、我もしこれによりて一歩たりとも我が主に近ずくを得ば、我は悲しむべき者にあらずして、よろこび感謝すべき者なり。
 
永遠無窮の生命とはキリストにおける生涯に外ならざれば、我をしてキリストを識らしむるものは、その如何に苦き盃たるに関わらず、我は感謝してこれを受くべきなり。
 
内村鑑三はここでキリストを頭で理解しようと言っているのではない。彼の全身全霊でもってキリストと一体になることを望んでおり、そのためにキリストは彼を砕かんとして多くの苦難を用意されたのであると。苦難を感謝して受ける信仰こそ彼の真の信仰を、純信仰を現す。